蕎麦食いの街「足利」・現代の手打ちそばのルーツ「足利一茶庵本店」

      2017/03/04

読者の皆さん、こんにちは!

先日の荒川屋さんに続き、足利そば巡りの旅の続きです!

 

足利の蕎麦屋さんと言えば、言わずもがな。

「友蕎子」と謳われ、お店に行くことを「足利詣で」と称賛された『一茶庵総本店』!

戦後の機械打ちそばのブームを伝統の手打ちそばに導いたレジェンド的な存在であり、「翁」の高橋名人をはじめ、「松翁」の小野寺氏。秩父の「こいけ」、八王子「車屋」・・そうそうたる蕎麦屋を輩出した蕎麦屋界の名店です!

 

「友蕎子・片倉康雄」

産まれは現在の埼玉県加須市。会計士の仕事をしながら22歳の時に「新宿一茶庵」を創業。

北大路魯山人をはじめ、多くの文化人に愛され交流を重ねる。
大森、浦和に移転後、戦争のためしばらく蕎麦屋から離れるも、昭和29年、50歳で足利に「一茶庵」を開業。その後も多数の支店を出店。手打ちそばの研修所、大学、教室など、勉強の場を多く手掛ける。
「現在ある多くの蕎麦屋のルーツをたどるとこの人に行きつく」と言われるほど蕎麦業界に貢献してきた人物。手打ち蕎麦、変わり蕎麦ブームの先駆者。

(実は・・お恥ずかしながらかくいう自分もその流れを汲んでいます。未だ若輩者で申し訳なく感じております汗)

改めて、調べれば調べるほど、偉大な人だったのだと思い知らされます。

 

足利そば巡りの旅・その弐

 

足利駅から北に向かい、国宝「鑁阿寺(ばんなじ)」、を通り過ぎ、足利市役所の交差点を曲がってすぐ。

まるで料亭のような趣のお店があります。

足利一茶庵総本店

 

建築文化賞を受賞された建物は風格があり、片倉氏の美的感覚や感性を伺い知る事ができます。

看板や家具、しつらえなども手掛けているそうです。

看板の文字は「笊蕎麦 一茶庵」鵜月左青(うずきさせい)という俳画家の書だそうです。

文字の配置や間隔だけでも独特な美的感覚です。看板にこの書を選ぶという事は蕎麦に関する想いが相まっているからなのだと思います。若かりし相田みつおさんもこの書の虜になって良く通われたとか。

「ただ、美味しい蕎麦を打つ」というだけではないんだよ。という事を教えられている感じです。

エントランスを入り、客席までの間にも右手には栃木の大谷石の衝立。期待感が高揚します。
左手には片倉氏の写真や歴史や系譜の説明。
美術館のような雰囲気を通り過ぎると、ガラス張りの手打ち場。正面には厨房。

お土産コーナーには乾麺の他に、「そば飴」なるものが。

厨房の三代目庸光さんに挨拶し、美術館のような雰囲気からがらりと変わった、たくさんの日差しが入る客席へ。案内された席に着きます。

店内の雰囲気はお客様でいっぱいなので写真は撮れませんでした。

お店に来る前から注文は決まっていましたが、メニューを拝見いたします。

以前きた時と変わらず同じお品書きです。

一茶庵といえば、やっぱり変わり蕎麦ですよ。「五色そば」を注文します!

 

自分も修業先で変わり蕎麦を練る段階までは経験がありましたが、打つところまでは未経験。修行を終え、実家で打ってみましたが、やはり簡単ではないです。

そんなこともあり、しばらく変わり蕎麦から離れていますので楽しみです。

待つ間にも次々とお客様が入ってきます。

スーツ姿のグループ。作業服の職人風の人達。耳だけで様子を伺っていると、なんとなくですが「一茶庵に食べに来た」という程よい緊張感が感じられます。

 

運ばれてきた五色の蕎麦は、きっと特注であろうと思われる五色の漆塗りの器に重ねてやってきます。

それぞれを広げて。「おお~っ!」っと一人で興奮笑

写真を撮る自分をいぶかしがる他のお客様の目を気にしながら、そばがのびないように早く済ませます。

先ずはのびるのが早い、細打ちの「さらしな」から。

美しいですね~!細く切り揃えられ、透き通る白さ。

繊細な甘みと香り・・大森時代に人気になった理由がわかります。江戸文化って「他にはない粋な物」を好むイメージが強いので勝手な妄想をしてしまいます。

続いて「抹茶切り」

こちらも繊細な技術が伝わります。変わり蕎麦の細切りは短く切れてしまう事がありますが、しっかりとつながっていて切れていません。この細い麺線で食味と抹茶の風味を表現できるのは流石です。

「芥子切り」も芥子の「プチッ」っという歯ごたえと一緒に、丁度よく煎られた芥子の香りが広がります。

修業時代に芥子を煎りすぎて怒られたことまで思い出してしまいます。懐かしい笑

「田舎そば」はせいろそばと違った食味と香りが楽しめます。麺の色が若干違うのは蕎麦粉の産地・製粉・割合などで差を出しているためと思われます。修業時代の店長に「田舎そばもお客様が喜ぶからお店で出してごらん」と言われたことが思い浮かびます。

それでも基本の「せいろそば」

変わり蕎麦が代名詞の一茶庵ですが、そばといえば「せいろそば」です。

やはり総ては基本が伴っているかどうか。修行は20年前の話しになりますが、今では痛いほど身に染みて感じます。食べながら修業時代の出来事、教えをいろいろ思い出して考えさせられます。

 

お店の紹介やレビューというより、すっかり自分の思い出やルーツ探しになってしまいました。

ですが、これによって帰ってからの蕎麦打ちが良いベクトルに向かうのは間違いないです。

この記事を書いている現在も「お店に伺って良かった」と感じています。

 

(食事後、「友蕎亭」の撮影もお願いしたのですが、現在は地震の影響で破損が多いとのことで現在は公開されていませんでした。残念)

 

お店を出る時に並んでいた若者達が、このお店の蕎麦を食べて「どんな風に感じて帰って行くのかな?」と想像しながら「足利詣で」を終えます。

きっとまた、迷ったり、躓いたりした時に自然と足が向かうのだと思います。

足利一茶庵本店

http://issa-an.co.jp/#firstPage

 

 

鎌倉 一茶庵 丸山

http://www.issaan.net/index.html

修行先の一茶庵(現在は修行先の鎌倉本店は移転準備中。丸の内のこのお店は二代目が取り仕切っています)

この記事を書いた人

松本 英利そば御膳 むさしや  店長
埼玉県川越市の郊外で両親が創業した蕎麦屋を営んでいます。

料理人の気持ちのこもったお店や料理を探す、食べ歩きが大好きです。

ヒトサラのページ
http://hitosara.com/0002100566/

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